我が家は共働きなので、育児休業を取った後で保育園に入園申し込みをし、無事入園することができたため、保育園に通わせています。
いちばん上の子のときから保育園に通っていますが、世の中の声では「保育園はかわいそう」。
自分では、決してかわいそうではないと言い聞かせていましたが、心のどこかでは預けていながら「かわいそう」と思っています。
無理にかわいそうじゃないと思うよりも、かわいそうだと思うのはなぜなのか、ようやくわかってきました。
保育園で大勢の子供と生活することで社会性が育つ
お友達とのやり取りで、自分以外の誰かを意識する。これはよくある話です。
ただ、自分以外の誰かを意識して、一緒に遊んだり協調性がはぐくまれるというのは、3歳児でさえ難しく、まだまだ一人遊びの段階です。
もちろん、同じような子供がいるのもわかっているけれど、まだまだ自分中心の世界に生きているのに、無理に社会性を持たせる意味は何なのかと。
保育園に通うことで生活のリズムが整う
必ず朝決まった時間に起きて保育園に行き、園の生活時間に沿って1日を過ごすので、生活のリズムが整いやすいと言われています。
でも、これって家でもできるんじゃないかと思うんですよね。
みんな毎日そんなにシフトのある生活しているのかって。(職種によるものは別です)
むしろ子供は小さいために、お腹の空く時間も早いですし、大人のように我慢できるわけでもない。
それから、保育園に通っているからといって、リズムが整っているかというとそうでもないときもあります。
その日によって子供のリズムが変わることもあって、時々早く寝てしまったり、逆にものすごく早起きだったりということもあります。
イレギュラーな話なので、そんな日もあるっていうくらい。
大人だって、体調によってちょっと変わることもあるのだから。
そして、大人だってそんな毎日目まぐるしくリズムが変わるわけではないから、保育園に行くとリズムが整うというよりも、家でもリズムあるんだから、それでいいじゃないと。
長時間離れてしまう母子分離による不安
それまで家庭の中で生活してきた子供にとっては、いきなり外の、しかも誰だかわからない大人と他に同じ年齢の子ども達と同じ部屋の中で生活するには、大きな不安が付きまといます。
もちろん、これは毎日保育をしていけば、先生との信頼関係が築かれ、一緒にいるお友達を認識し、「あ、自分はここで過ごすんだな」と認識をし、受け入れるようになります。
ですが、家庭>保育という気持ちが子供に強い場合、たとえ毎日保育園に通っても、それが大きくなったとしても、なかなかぬぐい切れないと思います。
預けるときには、いやいや泣いてなかなか離れてくれない。
これは子供にもよるので、それが平気な子もいますけど、お迎えするときは、うれしそうに飛んでくるのを見ると、必ずしも保育園で過ごすことは、子供にとってある程度負担があるんだろうなと思ってしまいます。
保育園に預けているのはかわいそうだと言われたくない
預けているとかわいそうは、自分から見られた誰かの視線と、そして実際にこういうことを考えている他人の言葉だと思います。
他人が発する言葉だから、責められていると感じてしまう。
自分で働くと決めて保育園に預けているのに、育ててもいない他人からは言われたくない言葉だと思います。
だからこそ、社会性が育つとか仕事をすることの意味を伝えるとか、そんな大義名分のようなものを持ち出して、「だから保育園に預けるのはかわいそうじゃない」と理由づけ。
正直、私も自分の子供に関して、他人からかわいそうとは言われたくないです。
でも、だからといって、社会性が育つからいいとか働く意味を伝えたいとか、そんなきれいごとにしようとは思いません。
自分でも子供を保育園に預けていながら、自分の子供に関してはかわいそうだという気持ちがあります。
なぜか。
本来なら家でゆったり安心した環境の中で生活したいと思っているところをこちらが環境を整えられないばかりに、子供が行きたいと言ってもいない保育園に行かせているからです。
通い始めたら楽しいから、行くっていうのとは話は別です。
大前提は、子供が行きたがっていたわけではなく、大人の都合で入れているということ。
行かなくて済むのであれば、行かせたくない。
早くに帰れるときは、早くお迎えしたい。
集団の中にいて子供が疲れるよりは、家でゆっくり過ごせるほうがいい。
病気のときも、多少であれば目をつぶって行かせてしまうけど、本来崩れた体調で行かせることに無理がある。
私はそんな風に思っています。
まとめ
もちろん、保育園に行ったことで助かったこともたくさんあります。
私は世間一般にあるような、頑張る母親ではないので、絵本や歌などは積極的なほうではありませんでした。
好きな人は、毎日のように読み聞かせてたり、いろんな歌や手遊びなどしているようですが。
もともとが面倒くさがりなタイプなので、そこまでやるのが得意ではありません。いろんな絵本の世界に触れ、手遊びや歌を楽しむ機会は、保育園のほうが多かったと思います。
食事に関しても、栄養士さんが考えたバランスのいい食事を食べられるので、家では出さない食材とかも経験させられるのがよかったです。
他にも園でやる年中行事は、家ではやらないものもあるので、季節を感じながら楽しむことができるのも保育園ならではだと思います。
最も助かったのは、トイレトレーニング。
仕事から帰ってきて、ご飯を作ったりしていると、そこまで見ていられない。もちろん几帳面な人はやっていると思いますが、私はトイレトレは家でやることがほとんどありませんでした。時々余裕があるときか、タイミングがよさそうなときくらいで。
多分保育園がなかったら、きっとトイレトレで結構しんどかったかもしれない。
保育園に預けることがかわいそうかというのは、自分が感じることなので、私はむしろ子供に負担させていることを申し訳ないと思っています。そういう意味でかわいそうなことをしたなと。
でも、預けなかったら何もできないので、預けることそのものについては問題は感じていません。
感情と実行は別物。
おそらく、預けたことに対してかわいそうなことをしたなという気持ちは、しばらく続くと思います。
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