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くちなしの咲く頃に

3000文字チャレンジ

今回のテーマは「7」です。

実は最初、ウルトラセブンの替え歌の話を書こうかと思っていたのですが、単発すぎて話が続かないのと、その先にも何もネタがなかったのでやめようと思っていました。

ただこの数に関して関連する部分があったので、ずっとずっとどこかで機会があったら書こうと思っていたことがあり、今回はそれを書きます。

もともと日記的なブログがあるのですが、そちらにある程度は書いたものを一挙にまとめてしまったので、いつか残りなり追加なりを書こうとしたまま放っておいていました。

 

話としては重たいので、読みたい方だけお付き合いください。

 

あれは1週間前のこと。

実家に遊びに行く約束を電話でした。

確か義実家へ長男をお泊りさせるっていう話が出たので、そのついでと言ったらになってしまうが、次男を連れて実家に遊びに行くって。

1週間くらい前にいきなり言い出して問題ないか心配だったけど、母は快く返事してくれた。

 

 

それより遡ること3か月ほど前。

 

大きな地震があった。

その後東日本大震災と呼ばれる大規模な被害をもたらした地震。

私はまだその時育児休業中で、地震が起きたときは家で次男と過ごしていた。

だんだん大きくなる揺れ。

勝手に開く窓。

FAX台も30センチほど移動していた。

幸いにも物が倒れることはなかった。

あまりにも揺れが大きかったので心配になって実家に電話をかけた。

呼び出し音が鳴った。

つながる可能性があるので少し安心した。

しばらくして母が出た。

どうやらなんとか大丈夫だったらしい。

電子レンジがひっくり返ったとかでこれから片づけないといけないとか言っていたような気がする。

その後まだ大丈夫か心配になって電話をかけたけれど、その後は地震で回線が使えないのか出ることはなかった。

これは後日また電話したら、方々から電話があったみたいな話はしていたと思う。

長男はその時保育園にいた。

本来なら大きな地震のときは、速やかにお迎えしないといけないのだけれど、今まで経験したことがないものだったので、何も考えずに規定通りの時間に迎えに行った。

そうしたらなんと驚いたことに、今まで開かなかった門が開けられており、お迎えは引き渡し訓練と同じような状況になっていて、子供達は全員ホールで防災頭巾を被って整列して待っていた。

後からお昼寝後に布団をしまっていて、布団が崩れてきたという話をしてくれた。

 

地震のせいで、エレベーターが止まっていて、保育園にお迎えに行くのも階段を下りたのだけれど、次男は抱っこして下りたのでこの時点で息切れししていた。

そして帰りは登らないといけない。10階以上を下り、また昇るのでかなり疲れた。

地震の日は金曜日。

布団カバーも持っているので、荷物がある分疲れる。

翌日は卒園式だったが中止になった。

この時の年長さんは大変だったと思う。

先生方も夜中遅くまでお迎えを待っていたから、卒園式ができないのは当然のこと。

長男たちも年中として出席予定だったけど、連絡網が来て翌週になったという話を聞いた。

母が心配になり、春分の日だったかに次男を連れて訪問した。

この時も長男は義実家にお泊りみたいな方法で。

地震のこともそうだけれど、一人暮らしなのでいろんな面で心配があった。

まだまだ長生きしてほしい気持ちもある。

次男がようやく1歳になったばかりだというのに、3人目を産むまでは死なないでねなんて言ってみたり。

この時には、母から新しい家の鍵を預かった。

何でも最近の防犯対策のためにわざわざ変えたのだと。

それから、今までにはなかった手すりが玄関やふろ場に取り付けられていた。

その時に少し聞いたのだけど、パーキンソン病にかかったというので。

この時は、あまり私もよくわかっていなかった。

帰ってから調べたら、一人で生活するのに結構大変なんじゃないかと後々気が付かされた。

地震後にはひとまず落ち着いていた様子だったので、とりあえず安心してその日は帰った。

 

次男の顏も見せることができたし。

徐々に次男も母に慣れてくれればと。

 

次に訪問したのが5月のGW期間。

この時の記憶はあまりない。

たいして何があったわけでもなく、母と話をしていただけだったような。

次男と一緒に。

 

そうそう。GWから遡ること1か月。

 

4月。

 

このとき伯父が亡くなった。

連絡は母から来た。

お寺の都合で葬儀は月曜日。

通夜が日曜日。

夫がいてくれたらよかったが、さすがに次男と二人で電車に長い時間乗っていくのもできず、母を連れていくことも難しかったので、葬儀は出ずに通夜だけ。

この時、母も一緒に車で行こうと誘って出席した。

足元がおぼつかないのに、一人で電車に乗るよりもこちらがついていたほうがいいかと思って。

 

この時、まだ気づいていなかった。

 

どんどんカウントダウンが来ていることを。

 

そして日々はなんとなく過ぎていき、6月。

長男を義実家にお泊りさせるというので約束したついでに、次男を実家に連れていき顔を出す約束をしたのが、その日の1週間前。

実家に遊びに行く前日は次男の通院日だった。

いつもは3カ月おきくらいに行っていたのだけど、震災で薬がまとめて出せず毎月通うことに。

ただし、毎月採血しても意味がないので、薬だけもらいに行く日。

本人はいなくてもいいといことで、次男は保育園に行ってもらい、大人二人で病院へ。

子供たちがいないってなかなかないので、お昼ごはんには病院近くのラーメン屋へ。

だいぶ身軽になったと思いながら、大人好みのラーメンを食べて満足していた。

 

この時、ふと「明日遊びに行くからね」と実家へ電話しようと思い立ったのだけど、いつもやらないことしてもしょうがないかとやめておいた。

 

(電話したら運命は変わったのかもしれないのに)

 

夕方になってから子供たちを保育園からお迎えし、その後は義実家へ。

 

明日は土曜日。

 

義実家では食事をごちそうになりながら、飼い猫と遊ばせてもらい、次男も楽しそうだった。

 

(この時間に運命が決まっていたのか)

 

長男だけ義実家でお泊りしてもらい、次男は家へ。

 

翌日は、長男を迎えつつ、次男を実家へ連れていく予定で。

 

次男だけ家に連れて帰り、長男のいない家は少し静かだった。

 

土曜日の朝。

 

事前に行く時間は伝えていたが、のんびりしがちでついつい予定時間より気持ち出るのが遅れた。

 

実家に行くときは、家を出るときに連絡を念のため毎回入れていた。

到着時刻がわからないと、行ったときに困るだろうからと。

 

車を出した後で、家に電話を入れる。

 

この時は、まだガラケー。

 

二つ折の。

 

実家に電話した。

 

呼び出し音がなった。

 

しばらく鳴らしても出ない。

 

もしかしたら、団地の庭の手入れでもしているのか。

それともご近所さんのところにでも行ってしまったか。

 

少し時間を開けて、また電話する。

 

 

出ない。

 

まだ家に戻ってないのかな。

 

時々休日は当番で掃除しているとか言ってたし。

 

また電話してみる。

 

出ない。

 

 

これだけ出ないということは、もしかして買い物でも行ってしまったのか。

 

少し待ってみる。

 

 

また電話する。

 

 

出ない。

 

 

もしかしたら、今日の約束忘れて、本当に出てしまって戻ってないのかな。

 

でもきっと遠出はしないだろうから、行ってみたら案外庭にいたなんてこともあるかもしれない。

 

結局家の近くにつくまでに電話したが、出ることはなかった。

 

 

家についた。

 

車から次男を抱っこして降りた。

 

夫はそのまま義実家へ長男を迎えに行った。

 

 

団地の周辺は静かだった。

 

当番で庭の手入れや掃除をしている人は誰もいなかった。

 

階段の下には、この前見た使い始めた杖がそのまま置いてあった。

 

どこへ行ったんだろう。

 

もしかしたら家に戻ったかな。

 

階段を上がり、玄関をたたいた。

 

「お母さんいる?」

 

 

返事はない。

 

少し待ったけど、何の気配もない。

 

仕方なく前にもらった鍵を開けて入った。

 

玄関にはきれいに靴が揃えられていた。

 

目の前に見えるふすまが空いていた。

 

中へ入ると布団が綺麗に敷かれていて使った後がない。

 

これから昼寝でもしようとしていたのかな。

 

でも、靴もあるんだけど。

 

下駄箱の上に鍵がぶら下がっていた。

 

台所の豆球だけがついていた。

 

2Kの狭い家。

 

見るところなんてない。

 

「お母さん?」

 

不安になり声をかけながらトイレを開けた。

 

 

誰もいない。

 

 

ベランダに出てみる。

 

誰もいない。

 

 

隣の部屋の襖を開けた。

 

荷物が置いてあるだけ。

 

まさかね。

 

これで何もなければいいんだ。何もなければ。

 

大丈夫かな。

 

確かめればいいんだ。

 

何もないことが証明されたら安心だから。

 

最後に風呂の扉を開けた。

 

恐る恐る風呂を見た。

 

 

母が横半分だけ顔を出して浮いていた。

 

 

何が起きているかわからなかった。

 

 

「おかあさん!!!おかあさん!!!」

 

もしかしたら、まだ助かるのではないかと必死に抱え上げて引きずり出そうとした。

 

叫んだ声は、今までドラマでしか見たことのないような声だった。

 

テレビでよく見ているが、本当にあんな声が出るのかと思っていたけれど、実際の状況になると出るのかもしれない。

 

ぐったりして動く気配がない。

 

家の風呂は昔からあるバランス釜というやつで、風呂そのものも浮かせているし、高さもあるので出入りが大変だ。

 

その上で引き上げようとしても無理だった。

 

浴槽に手を入れたときに、この時期にしては熱いと感じる温度だった。

 

もしかしたら、入った後ずっと火がついていたのか。

 

ほんの一瞬のことなのに、頭の中をいろんな情報が駆け巡った。

 

私の力では母を引き上げられなかった。

 

引き上げているときに、足が見えた。

 

 

真っ白だった。

 

なんか、皮もむけているような。

 

 

引き上げようとしたはよかったが、腰までしか出せず、自分の力の限界を感じるとともに、少し冷静になった。

 

だからといって風呂に戻すこともできなかった。

 

そして、何より怖かった。

 

 

次男は抱っこからおろしていて、いつもいる部屋のほうにいてもらっていた。

 

来ていたパーカーが少し濡れてしまった。

 

息をしていないのに、どうしたらいいのかわからなかった。

 

 

部屋に戻っておたおたしつつも、夫に電話した。

 

 

よく、第一発見者がすぐに通報しないパターンというのがあるが、後から考えたらこういうことだった。

 

動揺しすぎて判断ができず、何をしたらいいのかわからなくなる。

 

夫はまだ義実家へはついていなかった。

 

車の中だったが電話がつながった。

 

 

どうしたらいいか聞いたら、まずは救急車呼ぼうと。

 

 

119番した。

 

 

ほどなくつながり、手配を頼むのに住所などを伝える。

 

ドアをノックする音が聞こえて慌てて出た。

夫が着いたのかと思ったら違った。

宅配便だった。

あまりの形相と剣幕で出た状態を見て「大丈夫ですか?」と聞かれた。

 

「大丈夫」と答えるしかなかった。

 

印鑑を持ってないのでサインしたが、母の苗字ではなく私の苗字を書いてしまった。

 

待っている間に夫も戻ってきた。

 

 

その後少しして、救急車からの連絡。

 

 

私はこの時、何かとても大変なことが起きているというのを眼の前につきつけられていた。

 

電話に出ようとしたが、過呼吸になり手が痺れた。

 

電話を取れないので夫に頼んでボタンを押してもらった。

 

救急車からは団地のどこに行けばいいのか迷っているので教えてほしいという連絡だった。

 

そのまま伝えていると遠くからサイレンの音が近づいてきた。

 

ほどなくして、救急隊員の方たちが入ってきた。

 

 

来たときの状況や、驚いて引き上げようとしたことなどを告げ、救急隊員の方が確認してくれた。

 

こんな声が奥から聞こえてきた。

「死後硬直が始まっていますね」

 

そして、救急隊員の人から告げられた。

 

「あなたのお母さんですが、大変残念ですがお亡くなりになっているようです。これから蘇生等をしても戻ることはありません。また、この先は病院へ連れていくことができませんので、この後は警察の方が対応します」

 

死んだら病院へ行くんだと思っていた。

 

そうではなかった。

 

頭でやっと理解した。

 

その間に救急隊員の方が警察へ連絡し、しばらくして警察の方が何人か来た。

 

私が誰か。

母の名前と生年月日。

何か自殺するような理由はなかったか。

風呂場の窓は締め切ってなかったか。

質問に聞かれている間に、写真を撮っている人もいた。

聞いている内容は、恐らく事件なのか事故なのかを知るために聞いていたのだと思う。

 

ここに来たのは1週間前に約束をし、孫の顔を見せるためだと。

 

電話したときにも変わった様子もなかったことも伝えた。

 

だって、そうじゃない?

 

子供が孫連れて遊びに行くのにわざわざ死ぬ人いる?

 

そんなことを思いながらも、私は起きている状況が理解できなかった。

 

むしろ、こんな状況になっているのがつらかった。

 

そして、遺体は警察へ運び確認した後で監察院に渡されるとのことで、葬儀屋を準備してほしいこと。

 

この後警察署に来てほしいことなどが伝えられた。

 

そのまま母はシートに入れられて運ばれていった。

よくあるブルーの。

ファスナーが閉められる音が聞こえた。

 

どうしていいのかわからずに、家の電話で従兄の家に電話した。

 

葬儀屋の手配は母が生前から言っていたところに連絡をしたら、話がどんどん進んで行って、そのまま警察署のほうへ向かってくれていた。

 

夫と次男と3人で警察署へ。

 

とにかく時間が長かった。

 

葬儀屋からは、届け出をするので印鑑だけ用意するから、別途支払いしてほしい旨を伝えられた。

 

警察署で待つ間、なんとなく手のにおいが気になった。

母を抱えたときについたものだ。

 

家でも洗ったのだけど。

いつも持ち歩いている石鹸では落とせなかったようだ。

 

警察署のトイレでよくある緑色の液体石鹸で何度か洗うとにおいは取れた。

 

しばらくして監察医が来た。

 

何かの確認だろうか。

 

出てきた後は、翌日まで監察院で解剖するために預かり、翌朝に引き渡すとのこと。

 

葬儀屋からも火葬場の手配ができたので、翌日の昼に火葬ということになった。

 

もろもろの話が進んでいて、すでに昼ご飯も食べていなければ、これからまだ長い時間が続くのかと思うと、いやになった。

夜の間親戚に連絡してとりあえずの状況を伝えていた。

 

遺体の状況もよくないこともあり、翌日に火葬になったと。

 

その日は遅くまで眠れなかった。

 

翌日は監察院へ行った。

 

ドラマなんかでは病院へ行くことのほうが多いのだろうけど、死因が特定できないものについては、監察院行きになるのだそうだ。

 

長男はそのまま義実家で預かってもらっていた。

 

夫と次男と3人で監察院へ。

 

建物はそれほど大きくなく、なんとなく殺風景な感じだった。

 

どこで引き渡しになるのだろう。

 

担当の方が出てきて、案内してくれた。

 

病院でもそうなのだろうが、たいてい人が死ぬと地上の建物ではなく地下のことが多い。

 

それと同じで、私たちの向かった先は別の入り口から地下へ。

 

それも長いスロープの。

 

恐らくここから車で出入りするのだろう。

 

棺が用意されていた。

 

身元確認ということで顔を見てほしいというのだけれど、私は怖くてできなかった。

 

代わりに夫が見てくれた。

 

このまま見ないでいいのか不安になり、確かめたほうがいいか聞いたら、首を横に振りながら黙って止められた。

 

監察院でも死因が特定できず、これから精密検査するのだそうだ。

 

引き渡し前に、書類をもらっていたのだが、期日後に申請を出すことで死因が確認できることになっていた。

 

ただし、これも確実ではなくわからない人も中にはいるのだという。

 

他にも「大切な方を突然なくされた方へ」などとタイトルのついたパンフレットや、監察院の役割などを紹介した冊子などもあった。

 

監察院からはそのまま車で火葬場まで棺を送ってもらった。

 

同じくその足で火葬場へ。

 

前日に連絡していたおじさん、おばさんが来てくれていた。

従兄妹たちも。

 

急なことにも関わらず、本当にありがたかった。

 

ただ、私はむしろ無理しなくてもよかったのにと思うくらい。

 

来てくれた親戚の半分くらいは遠いところだから。

 

最後のお別れは、ものすごく静かだった。

 

他の人たちは窯の前に置かれた棺にお花を入れたりしていて、これが最後だと言わんばかりにわいわいとやっているのに。

 

うちは棺を開けたまま解放された場所に置くと、はっきりとわかってしまう。

 

そのため、脇にある倉庫のような場所でのお別れだった。

窯の前でわいわい見せられるような姿ではないからだ。

 

義母が棺に入れる花を用意してくれていた。

 

みんなが花を棺に入れてくれて、顔を見ながら最後のお別れをしていた。

 

私は喪主なのに何をしていいかわからなかった。

 

とりあえず私も花を棺に入れた。

 

でもやっぱり顔を見れなかった。

 

棺が窯に入れられるときまで、ずっとこんなことを考えていた。

 

「遺体から中身を取り出して、なんとか保管したらいつかまた戻ってきてくれるんじゃないかな」

 

エジプト人の気持ちが、なんとなくわかった。

 

だって、体があったらまた元に戻せるんじゃない?

 

でも、そんなことができるわけはない。

 

火葬後に出てきた骨を拾い、壺に収めた。

 

来てくれた親戚はそのままどこかでお昼ご飯を食べるからと、その後別れた。

 

急なことで葬式そのものも目途もなく、後日改めてということで。

 

とにかく事が起きているときは、何も思わなかった。

 

ただ、どうしていいのかわからないまま。

 

でも、本当に怖かったのは、家を訪ねたときだ。

姿が変り果て、生きているときと全く違う状況になっているのが怖かった。

あっという間の出来事で泣く暇はなかった。

とにかく怖いという感情だけしかなかった。

 

骨壺に母を収め家に帰った。

 

その後は家の整理。

 

これもどこか業者へ手配しないと追い付かない。

 

そして段々と時間が経つにつれて、遺品整理をするのに実家へ行くようになってから悲しみがこみ上げてきた。

 

毎晩風呂場で泣いていた。

 

なぜか。一人になると勝手に泣いてしまう。

 

家の整理や諸手続きで1週間ほどかかってしまった。

 

保育園にも毎日預けていたけれど、仕事ではないので先生に聞かれて理由を伝えるのがつらかった。

 

そして、ある程度落ち着いたころに気が付いた。

 

私の好きなくちなしの花が咲いているのを。

 

住んでいるところにはくちなしが植えてあって、毎年6月になるとなんともいえないいい香りをさせてくる。

 

そろそろだなといつも思うのだけど、あの事があってからは頭からは抜けていた。

 

ようやく気持ちが落ちてついて回りが見えるようになってから気が付いた。

 

とっくにくちなしが咲いていたことを。

 

今年は香りがそんなに楽しめなかったな。

 

むしろ毎年この香りであの事を思い出してしまうよね。

 

長男は母のことを覚えてくれていて、実家近くの公園で遊んだことや、母が作ったラーメンを食べたことも。

「ラーメン、おいしかったね」と言ってくれる。

 

あの時二人で食べたラーメンが、母最後の料理だった。

 

次男を連れて遊びに行ったときは、さすがに作る体力もないのか出前を取ってくれていた。

 

もしもあの日、私が昼間に電話をかけていたら何か変わったのだろうか。

 

もしかしたら風呂に入るのでさえ毎日ではなくて、私たちが来るからきれいにしようと思ったのか。

 

2011年6月17日 没。

 

毎年、くちなしの花が咲くと思い出す。

 

花の香りとともに。

 

今も。

 

次男は母のことは覚えていない。

 

長女は母に会ったこともない。

 

くちなしの花が咲くと、私が子供を誘って花を見に行くのだけれど、二人とも香りを素直に楽しんでいるだけ。

 

すでに何年も経つけれど、あれから監察院には行ってない。

 

理由を知ったら、これですべて終わってしまうかもしれないから。

 

未だに認められないし、認めたくない。

 

毎年、お彼岸には墓参りに行く。

 

でも、そこに誰が眠っているか、次男も長女もよくわかっていない。

 

そうだよ。

 

君たちのもう一人のおじいちゃんとおばあちゃんがいるんだよ。

 

あなたたちは、このことをいつになったらわかるようになるのかな。

 

 

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