瀬戸康史くんが出演する舞台というので、見てきました。
三谷幸喜演出の23階の笑いの感想をまとめます。
23階の笑い 概要
スタッフおよびキャスト情報
【翻訳】徐賀世子
【演出・上演台本】三谷幸喜
【出演】瀬戸康史 松岡茉優 吉原光夫 小手伸也
鈴木浩介 梶原善 青木さやか 山崎一 浅野和之
23階の笑い あらすじ
時は、マッカーシズムに揺れる1953年。
社会は政治、人種など様々な問題があふれていたが、テレビ業界は、熾烈な視聴率戦争の真っ只中。
その闘いの中心は、生放送のバラエティショーだった。
物語の舞台は、ニューヨーク五番街と六番街の間、57丁目通りにある高層ビルの23階の一室。
ここは、冠番組「ザ・マックス・プリンス・ショー」を持つ人気コメディアン・マックス・プリンス(小手伸也)のオフィスである。新入りライター・ルーカス(瀬戸康史)にとっては、まさに夢の現場! ここには、マックスの才能を愛し、彼のためにコントを書き、認められようと集まった個性的な放送作家たちが行き交っている。
主なメンバーは、目立ちたがりのミルト(吉原光夫)、ロシア出身のヴァル(山崎一)、ハリウッドを夢見るブライアン(鈴木浩介)、マックスが信頼を寄せるベテランのケニー(浅野和之)、病気不安症気味のアイラ(梶原善)、紅一点のキャロル(松岡茉優)とルーカスを含めた7名の作家たち。
そこに、秘書のヘレン(青木さやか)も加わって、出自も性格もバラバラなメンバーが、毒舌を交わしながら切磋琢磨しつつ、コント作りに没頭していた。
マックスもそんな彼らを大切にしてきたが、そこに大きな問題が・・・。
大衆受けを望むテレビ局上層部が、政治的な話題も番組に織り込むマックスたちのやり方を気に入らず、厳しい要求を突き付けてきたのだ。
マックスと23階の仲間たちは、このピンチをどうやって切り抜けるのか?!
彼らに未来はあるのだろうか?http://www.siscompany.com/23f/gai.html
23階の笑い 公演スケジュール
世田谷パブリックシアター
2020年12月5日~2020年12月27日
23階の笑い 概要
1950年代のアメリカのテレビ制作者のお話です。
特にこの話の中心にあるのは、マックス・プリンスというコメディアンと7人の作家が繰り広げる会話。
場面は3部からなり、
新人ルーカスが入社したとき
ルーカスが入社して7カ月が経過したとき
ルーカスもベテランとなり10年が経過したとき
主なテーマとしては、マックス・プリンスが軸となって、彼の番組で展開されるコメディの内容が政治的要素を含んでいたため、とにかく視聴率にこだわるテレビ局側から番組の時間短縮や予算削減を突き付けられます。それにどう対して行くのかというのが、この舞台の話の主な内容でした。
会話の中に織り込まれるジョーク的な話題
先にも書きましたが、テレビ番組の枠変更と予算削減というテーマに対してどう抗うのかという話の中に、相当な割合で混ぜられるのが、会話にアメリカ的ジョークを含んだ内容です。
見た人にしかこの話はわからないというのが、主な感想になってしまうのですが、会話中の内容を実はほとんど覚えられないほど、あっという間に会話が展開されていきます。
また、その内容もきつい冗談だったり、相手に対するひねりだったりするのですが、日本でいうところのコントともまたちょっと違います。
主軸の話がテレビ局への対抗のはずなのに、会話会話の中で「どうでもいい話題」が混ぜられているので、そのどうでもいい話題や相手をけん制する会話などはいわゆる「笑い」の部分になり、そこで観客がどっと笑うのですが、肝心のテレビ局への対抗については、少々埋もれがちだった印象があります。
また、出演者である瀬戸くんも稽古中に「ここでは笑うところなんだというのが、最初はわからなかった」といった話がインタビュー記事にもあったのですが、アメリカ的な笑いの要素が日本人から見ると若干薄い箇所もあったかもしれません。
むしろ、誰かが言ったことに対して誰かが突っ込んだときは、基本的に全部「笑い」に置き換わると見ておいたほうがよかったのかもと、観劇後に感じました。
//アメリカの時代背景についての理解
この舞台の中で出てくるキーワードとして、マッカーシズム、ジョセフ・マッカーシーなど1940年代後半から1950年代前半に起きたアメリカの共産主義者狩りについて、セリフの中に何度もマッカーシーが出てきます。
マッカーシーとマッカーシズムが何かなんですが、簡単にまとめると思想弾圧や社会的追放などまでに発展した社会現象のようでした。

実は、この舞台を見るときにはマッカーシズムが何かわかっていなくて、結局観劇中は、マッカーシーの名前が出てきても、それがいいのか悪いのか、マックスがネタに取り込んでも褒めてるのかけなしてるのかも判別できませんでした。
後からこの社会現象をとらえたときに、テレビ局側がマックス・プリンスショーの枠を減らしたりしているのは、政治的社会風刺のあるコメディは危険だと認識していたからなのかもと。
もちろん、マックス・プリンスショーが政治的問題を含んでいるから枠を減らすというのが大きな理由ではなく、スポーツ番組などの他の内容を拡大する目論見もありましたので、理由の一つにしかならないのですが。
マッカーシーのことは知らなくても見ることはできますが、知っておいたほうが何を意図してこの会話に含まれているのかというのがわかるので、前提知識として持っているとより楽しめると思います。
どうしようもないネタとか変な話とか
ここからは、舞台での面白かったメモをまとめます。
私自身会話そのものの内容を覚えてないのが、今回残念なところ。
以下備忘録です。
冒頭、ルーカスが23階のオフィスに入ってきたときに、オフィスの窓を開ける。(外の音が聞こえてくる)
空気の入れ替えのつもりでやってるのか、ルーカスが部屋から出ていき、秘書のヘレンが入ってくると、今度は開いた窓を閉める。
以下、2回くらい繰り返し。(単なる窓の攻防戦)
オフィスの先輩たちが一人ずつ登場するたびに、ルーカスがコーヒーを出してくれるという新人らしいポイント。
ベレー帽をかぶって登場したミルトは、両ポケットからさらにベレー帽取り出し。(マジシャンぽい)
ヴァルはロシア出身なので、発音がネイティブじゃないという設定のため日本語のセリフがまるでアメリカ人のなまりぽかった。(山崎さんの演技が光ってた)
ブライアンはやたらかっこよさを強調していて、ハリウッドを目指しているだけある印象。
賭けを申し出て、ブライアンとアイラで靴を脱いで賭けるも、最終的にはアイラがどちらの靴も23階から投げ捨てる。
先輩たちの挨拶が、「ばかやろー」で始まる。(特にミルトとマックス)
マックスが怒って壁をぶち抜き穴が開く。(壁紙の色が最初からそこだけ違うのは、そういうことだった)
壁を2回抜いたところに、1回目がミルト、2回目はルーカスが顔をはめる。
後に、他の壁にも抜いた形跡を暗転中に作り、全部に金の額縁をはめる。(ティファニーに作らせろとマックスが言っていたのが実現される)
抜かれた壁以外に焦げた壁もあり、それはルーカスのドジの結果。これでルーカスもイカレてる認定されて、先輩たちと仲良しに。
突然始まる大喜利。
これは、マックス以外の放送作家が面白いことを考えるための流れになっているのかもしれないが、話の中でいきなりその話のネタでいちばん面白いことを言えるかということをしていた。
会話の展開の速さに、ここで結局何の大喜利だったのか全く覚えてないのがもったいない。
白いスーツの会話の箇所は、ミルトがマックスの怒りを買わないために、窓の外に逃げようとするところ、後ろ!後ろ!みたいなネタで気づかれてしまい、結局オフィスへ逆戻り。(ここでフライドチキンネタも入ってくる)
それでも、まだ白いスーツに気づかないマックス。結局白いスーツを着ていることに関しては、だいぶ後になってから突っ込まれていました。
幕間の暗転で部屋の設定を変えつつ、演者も衣装変更。
暗転中は、ヘレンやルーカスが真ん中でお話。特にヘレンは青木さんなのでアメリカンジョークネタを一人コントで披露。
3幕目は10年後のクリスマスで、とうとうマックス・プリンスショーが終了になってしまうのだけれど、マックスが仲間をとても大事にしていることを心から伝えてくれる優しい場面だった。
最後はマックスが外でサックスを吹くというシーンなのだけれど、吹き始めたと思ったら「俺が吹けるわけないだろー」とお約束のような言葉で止め、そこへみんなが思い思いに近寄ってきて、それぞれで話を始めコントの内容を練っていて、話をしながらみんなが舞台袖へ消えていくというような場面が最後のシーン。
そこからカーテンコールへ。
なお、カーテンコールは2回あり、2回目のカーテンコールでは、最後にマックス役の小手さんだけがみんなより遅れて一人で名残推しそうに挨拶をし、最後にもう1度紳士のような深いお辞儀をして舞台袖へ去っていきました。
ここに書いたことで、もしかしたら違う人の動きだったかもしれない箇所があるかもしれません。
23階の笑いを見て感じたこと
瀬戸くん以外の出演者の個性が強すぎて、とにかく瀬戸くんの若さとか爽やかさが光ると言えば光るし、印象が薄いと言えばい感じ。
他にも若手として松岡さんもいるのですが、女性作家というポジションと先輩作家という設定もあるために、他の俳優さんと同じように個性が際立っていた印象が強かったです。
マックス・プリンスを演じる小手さんは、とにかく存在感が強く、最初に登場しただけで舞台の空気が完全に変わりました。
もしかしたら、マックス中心であるがために他の演者が空気を変えた可能性もありそうですが。
とにかくマックスがいないと始まらない。マックスの周りで何かが展開されていくというのが、舞台のはじめから終わりまで続いていたように思います。
そして要所要所にちりばめられた会話の中の冗談で笑いが起きるというパターンは、事前にこの話そのものを知っておくほうが内容はつかみやすいのかもなと思いました。
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