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瀬戸康史主演 舞台 彼女を笑う人がいても 感想

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彼女を笑う人がいてもを観劇したので、備忘録として感想をまとめます。

ネット情報で、開幕後に、瀬戸くんが舞台から捌けないというのを見ていたのですが、本当に全然捌けませんでした。

ほとんどどころか、全然。

最初は過去のパートから始まり、そこから現代へと交互に話が進みます。

備忘録的なことも含んで感想を書きます。
ネタバレになるかもしれません。ご了承ください。

 

 

彼女を笑う人がいても 公演概要

【作】 瀬戸山美咲 【演出】 栗山民也
【出演】 瀬戸康史 木下晴香 渡邊圭祐 近藤公園 阿岐之将一 魏涼子/吉見一豊 大鷹明良

東京公演
[日時]年12月4日(土)~12月18日(土)
[会場]世田谷パブリックシアター

福岡公演
[日時] 12月22日(水)18:30
[会場] 福岡市民会館・大ホール

愛知公演
[日時] 12月25日(土)18:00/26日(日)13:00
[会場] 刈谷市総合文化センター 大ホール

兵庫公演
[日時] 12月29日(水)18:00/30日(木)12:00/30日(木)17:00
[会場] 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール

 

彼女を笑う人がいても 過去パートあらすじ

伊知哉の祖父である吾郎が新聞記者をしていた当時、安保闘争が起き、その中で一人の女子学生が命を落とす。
吾郎はその理由を学生運動に参加していたメンバーに取材を重ね、真実にたどり着こうとしたが、様々な力が働いた結果、志半ばで新聞社を退社する。

 

彼女を笑う人がいても 現代パートあらすじ

報道部からコンテンツ部へ伊知哉は、異動を命じられた。

担当していた被災地家族の状況について部署内の引き継ぎはない。オリンピックの開催が近いため、あっさりと被災地が復興したという話で担当連載は終了させられてしまう。

祖父が新聞記者をしていたノートに安保闘争に関する真実を取材していたことを知り、新聞記者を続けるモチベーションを探すために祖父の足跡をたどる。

 

彼女を笑う人がいても 感想

この舞台のテーマは言葉の持つ力について。

彼女という表現でしかされていない、デモ隊に参加した女子学生の死の謎を追いかけて、吾郎は取材を重ねます。

セツルメント活動をしている学生の松木はデモに関して何もならないという考え。

これに対し彼女は世の中を変えるにはデモのような運動に参加することこと意義があるという対立構造。

そしてその両方に立つのが、女子学生の山中誠子。

誠子は地道な活動も必要でありつつ、力で訴えないといけないと向かう彼女に大きな憧れを持っていました。

やがて吾郎は取材を重ねていくうちに、自社の新聞記事に記載された彼女が亡くなったときに隣にいた人物の名前を知り、本人を探しに。

けれど、それが架空の人物だったため、本当に彼女は公表されている死因が本当であるかを調べていきます。

日米安保条約に反対する学生デモから死者が出たこと、近々アメリカから大統領が訪問すること、様々な要因が重なり事態を収束させるために、日本の代表的な新聞各社が共同声明を出すことで暴力を否定し、言論により統制を取るという宣言を出しました。

これは学生のデモが暴力であり、それは許されないことだというのをメディアが宣言したようなものだととらえています。

日米安保条約の反対デモ、またそれ以前の学生運動に関して、あまり知らなくても内容は理解できると思います。

言葉で社会を変えたい吾郎が記者として事実を伝えようとすること。

それは確かに正しいことだったのかもしれない。けれど、その伝えようとしている事実の先にあるものが、正しいことなのかどうなのか。何が真実なのか。

大きな力に対して、一個人に降りかかった悲劇はどう向き合わせればいいのか。

話が難しいというより、何か別の方向のものを束にしているようにも感じました。

日米安保条約の締結は政府にとっては正しいこと。ですが市民にとっては第二次世界大戦のようなものを蘇らせてしまう怖いものの存在。

それに反対すべくデモを起こしたわけですが、丸腰で向かう群衆に対して警官が警棒を持って向かうことにより負傷者が出てしまう状況。

これに対して、デモ隊が暴力であり、暴力による運動は認められないと新聞各社の共同声明が出されるのですが、丸腰の市民は果たして暴力なのかと。

丸腰でも実力行使に出る場合には何かしらの力なわけで、ここで警官が阻止するのも力です。

そして事態を収束させるために、新聞各社が取った共同宣言はある意味言葉の力でもあり、権力を利用した影響力です。

これと並行して進んでいく伊知哉の物語は、東日本大震災で被災した家族の現状を今あることとして報道する記事の連載がオリンピックの開催が近づくにつれ、日本が復興したという方向性に転換するために打ち切りとなります。

被災家族の状況をつぶさに伝え、取材されていた家族も世の中の役に立つのではと伊知哉にその思いを託して信頼関係が築かれていた状況でした。

被災地の状況は何も変わっておらず、今でも避難している人、生活を立て直すために別のところへ働きに出ないといけない状況について、連載が打ち切られることで、真実を伝えられないのが伊知哉の最大の苦悩でした。

過去と現代の物語で、常に瀬戸くんが舞台から捌けることなく、動きによってパートの切り替えをし、パートごとに演者さんが入れ替わり物語が進んでいきます。

言葉によって世界を変えたいという思いが伝わってきますが、吾郎も伊知哉もどうしようもない力に阻まれ、吾郎は怒り、伊知哉は嘆きを表現していたように感じます。

進行全体が、説明的な表現が含まれることが多かったです。

演者がセリフ上に説明を挟み込むために、そこに登場しない人物や背景などを見ている側が想像を膨らませないといけないように思いました。

そして舞台全体の流れが、まるで滝のよう。
あっという間に落ちてきて、流れ去っていくので、説明的かつこちらの想像力がないと状況がつかめない感じもありました。

そのため、ちょっとでも気を抜くと、いつの間にか今は何の話になっているのか、何か抜けたかのような感覚に陥ります。

もう少し間合いや、言葉の数を減らして、見る側を待ってもらえたらって思うところがしばしば。

ちゃんとついていければ問題ないのかもしれませんが、理解が追い付かないと抜けが出やすいかもしれません。

ただ、全くわからないかというと、そういうことはなくて、抜けた箇所が出てしまうのが気持ち悪いという見方で考えています。

過去と現代で言葉の持つ力を圧倒的に見せつけてくるクライマックスが、過去は主筆と吾郎の言い合い、現代は避難先で過酷な労働により病に倒れる岩井との嘆きを聞く伊知哉のシーン。

過去では言葉の力は無力であり、革命を起こそうと暴力で訴えたものを擁護する吾郎が主筆に非難され、権力で何事もなかったかのように隠してしまうことに吾郎が主筆を非難する場面は、すごい熱量。

お互いが持つ正義とは何か、どこに焦点を当てるかで見えるものが全く違うのだということを感じさせられました。

そして勝ったものこそが正義なのだと思わされるように、主筆の説明に対して何も言い返せない見えない力が働いていました。

主筆役の大鷹さんの演技は、魔物のよう。清濁を飲み込んで、まさに何もわかってないじゃないかと言われているかのようでした。

これに対して瀬戸くん演じる吾郎の怒り、憤り、言い返してもまだ返されてしまうことへの抗いとして放った言葉が「ふざけるな!」

若いから切り返せないのか、正論としてぶつけても足元をすくわれるような巧みな言葉で言われるので、全く手ごたえがないのか、感情を爆発させるところが普通に存在している正義だったように思います。

現代パートのクライマックスは岩井(兄)の悲しみのシーン。

取材されていた連載がなくなったこと。

その代わりに被災地の復興状況を示す写真がニュースに掲載され、さも復興したかのような表現に対して、まだ復興していないとニュースにコメントを入れたことで、見ず知らずの他人から、水を差すなと言われただけではなく最終的に「情弱」と決めつけられてしまうこと。

コメントの応酬によって、自分が見ているもの感じていることを否定され、心から泣いている岩井(兄)が「私が言っていることは間違っているんでしょうか」と泣くのに対し、必死に「そんなことはないです」と絞り出すように言う伊知哉。

吾郎も伊知哉もどこにも持っていきようのない気持ちが表現されているのですが、吾郎の熱量に対し、伊知哉のほうは個人対個人の見えない戦いも含まれていて、つかみどころのない対象というのも気持ち悪いものだなと思いました。

そしてラストシーンなんですけれど。

なんかあっさり?

雨に打たれたい?

よくある青春ドラマなのか?

始まりのシーンが雨が降る日に国会議事堂に集まってきた群衆から表現されるので、それの対比なんだと思います。

最初のシーンは暗く始まるのに対し、ラストシーンは海辺で明るいので、これからも希望を持つということで明るさを持たせているのかもと。

あと初見だと最後のセリフが最後だとわからなくて、一瞬戸惑いました。

最後のセリフの後、少し時間があいて、恐らく他の日に見ている人達が拍手し始めて、一拍遅れで拍手し始めるという感じで。

終わり方が拍子抜けしてしまうのは、それよりも前の場面全てがとことん言葉の波でもあり、熱い思いを投げていることが多かったからかもしれません。

今回舞台を作ってくれた演者さんの感想もまとめます。

渡邊圭祐さん
仮面ライダージオウでデビューしたのを見ているので、今回どういう雰囲気でなのかと思ったら、冒頭出てくるなり、ウォズかと思いました。

声の抑揚、流れ、何かに長けた雰囲気が近かったので。

ただ現代パートのほうの矢船役は、どちらかというと軽い感じの若者で、全くそういう面もなかったため、ちょっとほっとしています。

面白かったのが、過去で演じた松木役は現代では吉見さんが演じられるのですが、伊知哉、矢船、松木でテーブルを囲んでいるにも関わらず、矢船が一切セリフを言わないで聞いているっていうのは、とてもシュールです。

木下春香さん
事前情報では、ミュージカルを多くされていて、ストレートプレイをしたことがないということでしたが、違和感なくすんなり演じられていたと思います。

現代の梨沙役は、明るい元気な女性、過去の誠子役は暗めでまじめで考えすぎるタイプの女性。

全く違う人なのに、それぞれの個性が生き生きと表現されていたと思います。

魏涼子さん
今回の舞台を見るのを楽しみにしていた女優さんです。

伊知哉の先輩の役では、会社の方針を理解する設定で、バリキャリの強さが。

過去では「彼女」の母として、母親としての強さと娘を失ったつらさと、何もできない主婦の自分から、冷たい感情がどこかしらに流れている雰囲気を含ませていました。

過去パートでは照明の関係上もあったのかもしれませんが、お顔の雰囲気がデスマスクを見ている感じ。

もちろん娘を亡くしているので、その表現がぴったりなんだと思います。

にもかかわらず、カテコでは、チャーミングな笑顔で出てこられて、その笑顔が個人的に一番みたいお顔でした!

吉見一豊さん
過去も現代も「こんな親父いるいる!」みたいな風体で、滑舌が若干悪いようにしているのも演技でのことかと思いました。むしろその辺の親父感を出せてしまうのに親近感すら湧いてしまいます。

大鷹明良さん
この舞台の切り札だと思います。

吾郎とやりあうシーンでしかほぼ出てきませんが、この場面のために用意した懐刀なポジションの主筆が、実は主役なんではと錯覚するくらい。

言うも言われるも思いのまま。むしろ言葉を自由に操って人の気持ちですら操作できるのではないかと。

近藤公園さん
一番心に残っているのが、現代パートの心優しい兄役。

必死に働いていて、いつか何か変わってくれないかと希望を抱いているにも関わらず、心ない言葉により心が挫かれ、悲しむ様子は慟哭という言葉というのはこういうことかと伝わってきました。

阿岐之将一さん
吾郎の後輩役のときは、態度が大きいために後輩なのに先輩に見え、吾郎に呼び捨てにされることでやっと「あ、後輩だった」と思い出させるほど。

豪快で力強い雰囲気が、とても印象的でした。

瀬戸康史さん
瀬戸くんが主演だというので、楽しみにしていた舞台。

瀬戸くんには社会派のイメージはなく、稽古中も表現に悩んでいたのを見ていたので、どうなるのかと思ったのですが。

確かにこれは悩むし難しかったんだろうなと思う流れでしたが、吾郎の情熱と伊知哉の戸惑いが、それぞれまっすぐに伝わってきました。

そして、その演技を共演されている方々が引き出してくれているのかと思うほど、他の方の演技が導線になっていたと思います。

 

舞台が始まる前の情報から「声なき声」という言葉をニュースで見ていましたが、声なき声以上に、正義とは見ている立場によって変わり、勝ったものが正義なのだと、改めて感じさせられる内容だったと思います。

言葉が滝のように流れていくので、取りこぼし分は戯曲で再構築したいと思います。

 

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